2016年2月6日土曜日

~教会無所属信仰に至る道 PART 1~

歴史的に、キリスト教の伝道が進むに伴い、
「教会」というものが組織されるようになった。
現在、世界には多数の教派に分かれて教会があるが、
イエスの復活後、使徒たちによって伝道が行われていた頃には、
現在見られるような多数の、そして制度的な教会はなかった。
聖書に「教会」と訳されている原語はギリシア語の「エクレシア」であるが、
これは元来ギリシャ諸都市の市民総会を指す語であり、
その原意は「呼び出す」という意味で、
使徒行録5:11で初めて使われたことが定説である。
市民総会を開催するとき、伝令で召集されたことからこの名称が使われたのだが、
イエスを信じる者たちは、この世から召し集められ、呼び出された者として、
ユダヤ人のシナゴーク(ユダヤ教会堂)と区別するため、
この「エクレシア」という語を用いて、
自分たちの集会を呼ぶ名称としたものと解釈されている。
最初は、コリントのエクレシアとかローマのエクレシアとかと言って、
地名を冠したエクレシア、すなわち信者の集会があるだけであり、
現在のように教派的に分かれた教会というものはなかった。
また、監督、長老、執事などの名称が、
使徒行録やパウロ書簡などに記されてあるけれども、
それらも現在の教会にあるような制度としての役名ではなかった。
特に、原文のギリシャ語で執事は「奉仕者」である。

当時の教会の実体は、ある個人の家庭で開かれた集会であり、
やはり家族的交わりの性格を持つものであった。
例えば、使徒行録1:12では、高間という表現で、
家の2階で集まっていたと解釈されているし、
1:15では「兄弟」という、家族を意味する言葉が初めて使われているし、
10章では、コルネリオは家で一行を待っていたと記されているし、
16:15ではルデヤが「私の家に来て泊まって下さい」とも記されていて、
その他にもたくさん例があり、
とにかく「エクレシア」というのは、
家族的交わり、家庭集会・礼拝の性質であったと解釈するのが定説である。
それが現在のような制度的教会に至ったのは、紀元2、3世紀以後のことであった。

そして、その頃になってもまだ、現在よく知られているような、
カトリックとプロテスタントの分かれはなく、
ギリシャ正教会、ローマ公教会、
アルメニヤ教会、コプト教会の4つの大きな分かれだけであった。
この内のはじめの2つはローマ帝国が東西に分かれた結果、
教会も2つに分かれたのであり、
ギリシャ正教会はロシア、ルーマニア、ブルガリア等、
東ヨーロッパ及びバルカン半島に地盤を持ち、
ローマ公教会はローマ法王を首長とするカトリック教会となる。

さて、その後、数世紀を経て、カトリック教会の制度上の問題に、
ルターやカルバンなどで有名な宗教改革者が、
カトリック教会にプロテスト(抗議という意味)し、
それによってプロテスタントという新しい教会運動が起こったのだが、
そこからさらに聖公会、長老教会、メソジスト教会、バプテスト教会、
その他多くの教派に分かれて止まるところを知らない。
カトリックの中でも、いくつかの教派に分かれているが、
一応、カトリック教会としてはローマ法王を首長とする世界的組織であるのに対して、
プロテスタント諸教会は世界的統一的組織をもたない分派が特徴である。